水槽の中で夢を見る

いつもいつもこの記事を書くときは眠りに入る真近で、うとうとしながら取り止めのないことを書いています。タイトルを決めねば更新出来ないのでタイトルに沿うように、とは心掛けつつ。

某氏のお手伝いをすることが決まりまして、自分でひとつ動いてみることになりました。来月辺りにははっきりと口に出せるようになっていると思います。ぽしゃらなければ。
先日観たあるバンドがとても良くて、計画を少し変更したら頭の中がまとまらなくなってしまって時間を食っています。人を待たせることのないようさくさく進めたいと思っていたのだけれどうまくいかないなあ。集中力が保たない。熱意だけでは動けないのはもうずっと前から。「後先考えずに動いてしまう」ことの出来る人が羨ましいと思ってしまう。「後先考え過ぎて動けなくなってしまう」のが私の悪いところです。フットワークの軽い人大好き。優しい笑顔を向けてくれる人はもっと好きよ。
指令を下した某氏から「どうしてそんなに考えてることが冷めてるの」と言われた気がします。ニュアンスが違うかもしれません。こればかりは口で説明しようとすると言葉が欠落していることがわかってしまうのでごまかしましたが、生活は思うよりうまく行かないものです。

重たい腰はいつまでも重いままで、しかも年々さらに重くなってきているような気がします。てこの原理で持ち上げるために、もがこうと動くために、周りの状態を固めることで自分の首を締めています。少しでも動き続けないと、多分すぐに根がはって動けなくなってしまう。一歩でも半歩でも動かなくては。

名前をどうしようか迷っています。
「とりの鳴く声」かこのブログタイトル「水槽の中で夢見る鳥」にするつもりです。どこかでお見かけの際は気にしてくださると幸いです。