慨嘆

かなしかったことを思い出した。
幼い幼い子供のころのこと。燃え尽きようとしている命に触れながらもなす術がなかったこと。ただ消えゆく灯火を震える手のひらの中で支え続けるしか出来なかったこと。

最近蝉の幼虫が羽化するために草むらを這っている姿をたまに見かける。明け方ならばまだしも、白昼の最中その姿を見るとなんだかとても心配になる。そんなことを思っていたある日、古びた電話ボックスの中で蠢く何かに気づいた。小さな蝉の幼虫がひっくり返って必死に元の道へと動いていたのだ。10秒ほど見つめた後、私は近くに生えていた草を抜き取りその脚に草が絡まるように手を伸ばした。何度か脚に絡まる瞬間は捉えるのだが、なかなかもとのうつ伏せの姿には返らない。どうしたものか、と思いながら何度か続けるとようやく元通りに返りとにかくほっとした。のもつかの間。よく見るとどちらの中脚とも反対側、つまりうつ伏せの状態になったときに天を向くように変形してしまっていたのだ。先天的なものかあるいは後天的なものかはっきりとはわからなかったが、電話ボックスの真ん中辺りまで自力で来れていたようだったことから、恐らく穴から出てきて羽化する場所を探している間になんらかの理由でそのようになってしまったのだろう。心がぎゅうと締め付けられる感覚がした。何歩も進まないうちにまたひっくり返ってしまったのだ。頑張れ、と呟きながら草を操る私の背後には大きな公園があって、人通りが少ないわけではない。草を手に取った瞬間感じていた言いようのない羞恥心はいつのまにか消え失せ、通り過ぎる大人たちに「どうして誰も助けてあげないの!」と問い詰めたいと思うほどだった。
二度目の頑張りも虚しく再度天を仰いだ彼を、私は見捨てた。ごめんね。と呟きながら見捨てた。名前も知らない男性に笑顔を向け、買い物をした。帰り道、私の見捨てた彼は天を仰いだまま動かなくなっていた。
申し訳ないと思った。死の淵に立たされてなお脚を動かし続けた彼がそのあとまた動き始めてくれていたらいいと切に願うが、しかしおそらく彼は抵抗虚しく力尽きたのだろう。どうしようもなく虚しかった。そういう力の前ではなす術もなく、無力でしかない己の力を呪った。